目の前のことを大事にする

大事にしたいものは個々人それぞれあります。
「とにかく金が欲しい!!」という人もいるだろうし、「有名になりたい!!」という人もいるでしょう。私もそうです。

しかし、「それだけで本当に楽しいのか?」と問われると答えはNoです。

恋人と一緒にいたり、家族や友人との楽しいひとときを過ごしたり、そのようなことをしながら生きていきたいなと思います。
これらは一見簡単ですが、意外と難しい。

辣腕ビジネスパーソンだが、家庭が崩壊している例は枚挙に暇がありません。
一般的な幸せほど、掴むのが難しいのかもしれませんね。

そのようなことを考えるきっかけとなったのが以下の本です。

愛するということ 新訳版

愛するということ 新訳版

『自由からの逃走』など、数多くの名著を書き残してきたエーリッヒ・フロム著の本です。
「愛」を一種の技術と定義し、真摯に考え抜いた非常に質の高い読み物となっています。
今のうちに読めてよかったと心から思いました。

**現代社会の歪な愛

今日の人間の幸福は「楽しい」ということだ。楽しいとは、なんでも「手に入れ」、消費することだ。商品、映像、料理、酒、タバコ、人間、講義、本、映画などを、人々はかたっぱしから呑みこみ、消費する。世界は、私たちの消費欲を満たすための一つの大きな物体だ。大きなリンゴ、大きな酒瓶、大きな乳房なのだ。私たちはその乳房にしゃぶりつき、限りない期待を抱き、希望を失わず、それでいて永遠に失望している。いまや私たちの性格は、交換と消費に適応している。物質的なものだけでなく精神的なものまでもが、交換と消費の対象となっている。必然的に、愛をめぐる状況も、現代人のそうした社会的性格に呼応している。ロボットは愛することができない。ロボットは「商品化された人格」を交換し、公平な売買を望む。


意識しているしていないに関わらず、現代人は精神的なものまで資本主義に組み込んでしまった、というのがフロムの主張です。

金を払って何かを得る、という資本主義の基本システムが悪いことだとは私は思いません。
しかし、友情や愛情などにまでそれが適用されているのはどうなのでしょうか。

昨今よく言われている「成長」というのは、「自分の市場価値を高めること」です。
つまり、フロムがいう「商品化された人格」をより磨き上げることが成長といえると私は考えます。

周りから受けがいい「人格」や「スキル」や「地位」を作りあげ、磨き上げること。
今となっては一般的ですが、やはり違和感を感じずには居られません。

私の両親や恋人や一部の友人は、たとえ私の収入がなくなって荒んだ性格になり向上心を失ったとしても、変わらず私のことを愛し、叱責してくれるでしょう。
それは、「商品化された人格」を超えたものなのではないか、と私は思います。

金や地位だけではなく、自分の能力すら剥ぎ取ったところに残るもの。
それこそが「ロボット」と「人間」を差別化するものなのでしょうね。



**フロムが語る最強のライフハック

集中するとは、今ここで、全身で現在を生きることである。今何かをやっているあいだは、つぎにやることは考えない。いうまでもなく、一番集中力を身につけなければならないのは、愛し合っている者たちだ。ふつう、二人はさまざまな方法で互いから逃げようとするが、そうではなく、しっかりと傍にいることを学ばなければならない。集中力を身につけるための修練は、最初のうちはひじょうにむずかしい。目的を達成できないのではないかという気分になる。したがって、いうまでもないことだが、忍耐力が必要となる。何事にも潮時があるということを知らず、やみくもに事を急ごうとすると、集中力も、また愛する能力も、絶対に身につかない。忍耐力がどういうものかを知りたければ、懸命にあるこうとしている幼児を見ればいい。転んでも、転んでも、転んでも、けっしてやめようとせず、だんだん上手になって、ついには転ばずに歩けるようになる。おとなが自分にとって大事なことを追求するのに、子どもの忍耐力と集中力をもってすれば、どんなことでもなしうるのではなかろうか。

この本の主題は「愛」ですが、一般的な事象すべてに援用できる箴言も多々書いており、非常に勉強になります。フロム曰く、すべてにおいて大事なことは今現在に徹底的に集中すること。

これは私も日々実感していることです。
もちろん将来に対するプランニングや仕事の段取りをしっかりすることは前提です。
そのうえで何かにとりかかる際は、それ以外のことは頭から追い払い、とにかく考え動いてバリューを発揮すること。それができる人は本当にカッコいいです。

だからこそ、くだらない心配事等は常に頭から追いだしておく必要があるのかもしれませんね。
人生を楽しくするための三つの法則人生を楽しくするための三つの法則 - 外資系コンサルタントの日常

今に集中し、結果を出すこと。
それだけです。

現代の資本主義社会では、いやソ連共産主義でも、高い精神性を備えた人物がみんなから賞賛され模倣されることはまずない。みんなから賞賛を浴びるのは、みんなから見られる立場にいる人だ。つまり、映画スター、ラジオのエンタテイナー、コラムニスト、ビジネス界や政界の有力者などだ。彼らは一般大衆に、身代わりの満足感をあたえる。ときには、みんなに話題を提供したという理由だけで、みんなからさかんに模倣されたりする。
しかし、状況はまったく絶望的というわけでもなさそうだ。アルバート・シュバイツァーのような人物さえ、アメリカで有名になったのだ。また、人間が(広い意味での)エンタテイナーとしてではなく、一人の人間として、どれほどのことが身をもって示した人は、過去も現在も大勢いる。また、あらゆる時代の偉大な文学作品や芸術作品を見てみれば、人間の健康な姿がどのようなものであるか、そして異常に対する感受性とはどんなものなのかを、知ることができるように思われる。成熟した人生とはどんなものなのかという青写真をいききと保っていないと、私たちの文化的伝統は全面的に崩壊してしまうかもしれない。この伝統は、ある種の知識の伝達にもとづいているわけではなく、ある種の人間的特徴にもとづいているのだ。次の世代にそうした特徴がなくなるようなことがあれば、たとえ知識は伝達され、さらに発展させられたとしても、五千年続いた文明は崩壊してしまうに違いない。